meaning-of-life

人はなぜ生きるのか?私のたどり着いた過程と結論を書いてみる

今、想うこと

今回、あることをきっかけに『人はなぜ生きるのか?』という問いに対して、私がたどり着いた結論を書く機会を得た。
20年も昔のことを思い出す作業は楽しくもあり、当時の自分を振り返りながら、まだ若く人生経験もなかった自分を思い出した。
あれから20年以上の歳月が流れ、人生の酸いも甘いも経験してきた現在の私は『人はなぜ生きるのか?』と考えることはなくなった。正確に言えば毎日の生活に追われ考える余裕がない。
(一応、納得する結論にたどり着いたしね)
 
しかし、こうして一つ一つを丁寧に思い出してみるのも、当時の忘れていた記憶や感情が蘇ってきて楽しく、たまには時間をかけて自分の人生を振り返るのも有意義なものだなと感じた。
価値観が多様化し、スマホで何でも出来てしまう現代において、物事には様々な面があり、多角的に見ないとその真実の姿は見えてこない。
『人はなぜ生きるのか?』という問いも同様で、多角的に見なければいけないし、人それぞれ様々な考え方があってよいと思う。
そんな中、今の私が生きて行くうえで意識していることがある。
それは『自分は様々な価値観、人生論、考え方、物の見方がある中で、どのポジション、どの立ち位置をとるか!』ということだ。
白か黒か、善か悪か、損か得か、右か左か、挑戦するかとどまるか、人生で起きる様々な事柄に対して、自分の立場をはっきりさせること!
それが『どう生きるのか!』ということに繋がっていくと信じているし、『今日が人生最良の日』という平凡な毎日を送ることにも繋がっていくと信じている。
 
昨年。ファッションデザイナーの山本寛斎氏が亡くなった。氏は自分なりの人生を必死に生きてきた人物である。
そんな氏が亡くなる直前、お見舞いに訪れた親族に『俺の生き方、どうだ?』と言ったそうだ。
私も、いつ訪れるかわからないが、確実に訪れるいまわの際で言いたいと思う。
『俺の生き方どうだった』と。
人生の後半戦に突入した私だが、残りの人生、そんな風に生きていきたい。
 
最後に、今回このブログを書くきっかけを私にくれたNに感謝の意を表し、終わりにする。

その後

私のたどり着いた『自ら生きる意味を創り出すために、どう生きるか!』という考え方には賛否がいろいろあると思う。
 
しかし、それでいいと思う。
 
この『生きる意味』という問いは、結局、一人一人が自分の結論を自分の力で見出さなければ終わらない問題だからだ。
 
20代前半の頃、寝ても覚めても考えていた私は、幸運にも自分なりの結論にたどり着くことができた。
 
結論を出してからの私は、この問いを考えることも無くなり、命ある者として後悔しない人生を送り、寿命を全うするという使命感が強くなった。
 
だからと言って、毎日、修行僧のようなストイックな生活を送っているわけではない。人並みに笑い、喜び、ムカついたりしているし(泣く回数はさすがに減った)、人一倍、欲求を満たす生活を送っている。
 
そのために『生きている』とも言えるけど(笑)
 
だって『人間だもの』(byみつを)
 
(最近、このことを話し合う機会があり、その時のお相手が『この問題を解決しない方がいい人もいるし、しないからこそ見えるものがある』と言っていた。結論を出すことを求めていた私には、新鮮な考え方であり、自分の知見が広がった)

全てが整った瞬間

ここまで『人はなぜ生きるのか?』という問いに、20代前半に私が特に影響を受け、未だに強く私の中に存在し影響しているものを書いてきた。
それらが私の中で影響あるもとして強く存在し、普段の生活や交友関係など、20代前半の私の人生に影響を与えていたし、行動にも影響を与えていた。
その頃、私の中ではまだ
  • 人間が生きることに意味は無い
  • 自分の存在にも意味が無い
というネガティブな思考が強く存在していた。
しかし、それとは相反するように
  • 故郷に錦を飾ってみせる
  • 充実した人生を送りたい
  • 何にでも挑戦してみたい
  • 自分は何だってできる!
という人生経験がないからこそ抱くことができる、若者特有のポジティブ(能天気?)な思考も強く存在していた。
 
相反する2つの思考が私の中に存在し、その日の気分で片方が強くなったり弱くなったりし、はっきりとした確たるものを自分の中に見いだせないまま、何かモヤモヤとすっきりしない思考・概念・人生観・感情が常に自分の中あった。
 
そんなある日、大学4年だったか、社会人になっていたか、はっきりと覚えていないが、いつものようにMr.Childrenのアルバムを聴いていた。
 
今となってはアルバムの名前も曲名も思い出せないが、当時もう何十回と聴いている曲なのに、なぜかその日に限ってその曲の歌詞が私に刺さった。
 
その歌詞は『そうです。僕らが生きることに意味はないんです。』
 
その歌詞を聴いた瞬間、私の中のモヤモヤとしていたものたちが、すーーっと整い全てがクリアになった。
 
 
そうだよな。人間が生きることに意味はないよな・・・。
 
そうか!そもそもの意味が無いんだから答えだって無いんだ!答えを出そうとすること自体が意味のないナンセンスなことなんだ!
 
しかし、俺は命ある者として生きていかなきゃいけない・・・。
 
そうか!人間は『なぜ生きるのか?』じゃないんだ!『どう生きるのか!』なんだ!
この世の中も、人間社会も、人はなぜ生きるのか?という問題だって、人間が自ら創り出したもの。ということは、答えも自分で創ればいいんだ!
 
そのために『どう生きるのか!』なんだ!
 
人間は創造できる生き物だし、無い答えはどんなに探したって見つからない、だから無ければ創ればいいんだ!
 
 
という思考が頭の中に次々と湧いてきた。
 
私にとって衝撃的な雷に打たれたような出来事だった。
 
気がおかしくなりそうな程、あれだけ様々な思考・熟考・思いを巡らせてきたし、私の中に常にモヤモヤとして存在していたものが晴れ、答えが出たのだから。
 
いや、答えが出たという表現も正確ではない。その問いに対しての『見方が変わった』という表現の方が正確かもしれないし、全く違う土俵に移動したとも言うべきだろうか。
 
 
それまでの私は『人はなぜ生きるのか?』という問いに、神様が用意した崇高な答えがあるんだろうと思っており、より深くより高いレベルで熟考・思考した者だけがその答えにたどり着け、実際にたどり着いた者は歴史に名前が残る賢者と言われる人たちなんだろうという、漠然としたイメージを描いていた。
 
 
しかし、『答えを出す・答えにたどり着く』という表現が成立する問いは、1+1=2の算数のような不変の答えが存在している問いに対して成立する問いだ。
 
 
『人はなぜ生きるのか?』という観念的、哲学的、死生観的な問いに、当然ながら不変の答えなど無く、『答えを出す・たどり着く』という表現はどうも具合が悪く腑に落ちない。『自ら答えを創り出す』という表現こそ合っていると思う。
 
 
まとめてみる
  • 人間は創造できる生き物
  • 人はなぜ生きるのか?という観念的・哲学的な問いは、人間が勝手に作り、勝手に悩んでいる
  • 答えが無ければ自分で創造すればいい
だから『なぜ生きるのか?』ではなく、『自分なりの生きる意味を創り上げるためにどう生きるのか?』という考え方、人生論、死生観に私はいきついた。

Mr.Children桜井和寿の歌詞

大学の友人に勧められ『Mr.Children』を聴くようになった私は、すっかりハマった。寝ても覚めても常に聴いていた。
 
まだYouTubeも無い時代、私が知った時は、既にMr.Childrenは出す曲全てが売れ、ミリオンセラーを連発する人気バンドだったが、遅まきながらハマった。
 
当時のミスチル桜井和寿もメンバーも若いこともあり、事実に基づいた男女関係の曲が多く(桜井が結婚、不倫、離婚、再婚も経験しているから?)、それに共感でき、そんな歌詞で歌われている男女関係のシーンに憧れたりもしていた。
 
また、へそ曲がりな私には、誰もが知っているミリオンセラーの曲ではなく、アルバムにしか収録されていないマイナーな曲の桜井和寿の癖のある歌詞が刺さった!
 
全ての曲を暗唱できる程、昼も夜も常に聴いていた。(というかMr.Childrenしか聴いていなかった)
 
そんなある日、いつものように聴いている私に出来事が起きた。

父の死

大学2年の時に『父が末期の胃癌』という母からの手紙が届いた。発見できた時にはもう末期という症状。
 
胃の全摘出手術に立ち会い、摘出した胃を先生が見せてくれたが、血液で赤い健康な人間の臓器とは真逆の、がん細胞に犯されたヘドロのような腐った青緑色をした胃だった。
 
本来なら大学を休学して、母の側にいて父の闘病を支えるべきだが、親不孝な私は東京で大学生活を送りつづけ、たまに帰省していた。
 
抗がん剤を投与しながらの闘病生活を送る父は、時間と共に衰弱していき、あんなに太くたくましかった腕も脚も、骨と皮だけになっていった。
 
抗がん剤の副作用もあり、痴呆の症状が出始めた父。私を自分の息子だと認識もできなくなっていたと思う。
 
最後となった再会時、涙を流す父。その訳を聞くと『みんなが優しいから』。
 
 
1年後、赤ちゃんに戻った父は亡くなった。
 
 
骨だけになり納骨された父。数年前は肉体も魂もあり、人間として生きていた父は今は骨になった。(この時、いずれ私も骨だけになるのか・・・そんな思いが私の中に芽生えた)
 
父は死んだけれど、残された家族はまだまだ続く自分の人生を歩んで行かなければならない。以前と変わらぬ生活をこの先も送り続けていかなければいけない。
世の中は私たち家族のことはお構いなしに回っていく。
 
 
この人間の生きることの無意味さ。人間社会の無常さ。命の儚さ。を父の死を通して実体験した。
 
このような経験を通して、私は次第に次のように考えるようになった。
人の死は多くの人が経験すること。
 
人間の生きることの無意味さや、人間社会の無常さ、命の儚さというものは、誰もが感じ取っているしわかっているんじゃないだろうか。
 
わかっているけれど、それを言ったところで何も変わらない・・・。
今日も明日もその先何十年も、命ある人間として生きて行かなければいけない・・・。
 
人は皆、自分はいずれ死ぬし、無常さをわかっているからこそ、その中で人間の喜怒哀楽を楽しみ、限りある生を充実させようとしているのではないだろうか。
 
 
あのおじいちゃんもおばあちゃんも、あのおじさんもおばさんも、あのサラリーマンもOLも、愛し合う恋人達も、大学の友人も大好きなあの子も、皆わかっているし、何処かでそれを感じているんだろう・・・。
 
それでも毎日『今日が人生最良の日であれ』と思い、生きているのだろう・・・、と。

著名人、言論人の言葉

大学の哲学科に合格できた私は、勝手気ままな大学生の1人暮らしを送っていたが、『人はなぜ生きるのか?俺の生きる意味はなんなのか?』ということは常に考えていた。

世の中の様々な常識を否定し、屁理屈を言うことが好きだった私は(へそ曲がりw)哲学科の気が合う学生達と議論する時間が何より楽しかったし、自分の知らない世界・知識への欲求は非常に強かった。

時々火の鳥は読み返していたが、当時の私は『人間が生きることに意味は無いよな~』という若者特有の虚無的、排他的な概念に支配されていた。

 

また、著名人・言論人と言われる人たちのトークに、知的好奇心が強い私は興味があり、そのようなテレビ番組、雑誌の連載などは常に目にしていた。

当時、私が強く影響を受け、今でも記憶に残っているものを記載してみる。

 

小林よしのり(漫画家)

ヒット作は『お坊ちゃまくん』小学校時代に読んでいた。

その小林よしのりが漫画を使い言論を始めたのが『ゴーマニズム宣言』。権威や常識に捕らわれることなく、歴史と事実関係を調べ、世の中で起こっている出来事に先入観なくフラットな見方をすることに影響を受けた。

 

西部邁(保守派の言論人)

小林よしのりゴーマニズム宣言の中で紹介されていたが、西部邁朝まで生テレビの中で言ったこと。『世の中はひどいことも何でもあり。

自分の愛する人が酷い目にあったら、僕は殺人でもなんでもする。』 この言葉により、『世の中何でもあり、どこで誰が何をするのも自由』という人間社会の真実。不の一面の真実を認識させられる事となる。

 

岡本敏子(芸術家 岡本太郎の内縁の妻、法律上は養女)

芸術家 岡本太郎の最大の理解者。テレビにほとんど出演しない彼女が晩年1回だけ出演したトーク番組を見た。

常に笑顔でニコニコしている彼女は、岡本太郎のやることを常に褒めて『凄い!凄い!』『絶対上手くいく!』と言っていた。

その理由は『男の子が元気なら女の子も元気になれるから!』『男の子が楽しそうだと女の子も楽しくなれるじゃない!』という彼女の考えから。

この言葉は男女の関係の真理を表現していると思う。

女の子が大好きな私は多大な影響を受けた。

『よし!だったら俺は楽しく活き活きとした男になろう!そうすれば周りに居る女の子も楽しくなれるし、女の子が楽しそうなら男も楽しいから。そういう男になればモテそうだし(←下心ありあり)』

男女関係においては、今もこの時の彼女の言葉が私の土台となっているし、前向きに積極的に生きていき、自分に関わる人たちの太陽になろう!という気持ちが生まれる。

 

安部譲二(作家)

素人の悩み相談番組での一言。

禿げがコンプレックスで何をやっても上手くいかないと悩んでいる素人に対して、『コンプレックスは誰しもが持っているもの。俺もどんなに小説を書いても、作家として賞を獲れないのは、元暴力団だから。前科があるから。と自分を責める。人生で何か上手くいかないことがあると、すぐに自分のコンプレックスが原因だと思ってしまうけど、そんなのは自分への言い訳。そんなことを気にしながら生きていくのは楽しくない!俺は楽しい人生を送りたいんだ。』と彼はアドバイスしていた。

人間だれしもがコンプレックスは持っているもの。特に若い頃は身体的コンプレックスを気にしてしまうことが多いと思う。

当然、私にも身体的コンプレックスは若い頃からあるんだけれど、それを気にしてもしょうがない。

そんなことを吹き飛ばせるくらい男として、人として中身を磨こう!と思えるきっかけとなった。

 

栗野宏文(ユナイテッドアローズ創業メンバー)

大学生になり洒落っ気が出てきた私は、足しげくセレクトショップに通っていた。そんな時、栗野氏の存在を知ることになる。

ファッションに対する氏の考え方(好きな洋服に身を包むと気持ちがポジティブになる、変化することを前向きに捉える。その時代を生きた証になる、etc)に魅了され、当時、氏が連載していたコラム(雑誌忘れた)は毎週読んでいた。

私は、氏の影響で『コム デ ギャルソン』を知ることとなるし、後にユナイテッドアローズとコム デ ギャルソン初のダブルネームのポロシャツを購入することとなる。

また、氏から物事は様々な角度から見なければいけないということも学んだ。 以上が、大学生時代、私が感銘を受け、今も鮮明に記憶している著名人、言論人の言葉であり、私の人生哲学への礎となっている。

 

人が生きることの無意味さを感じていた私だが、これらの言葉の影響により、前向きにたくましく生きようという想いが私の中で大きな存在となりえた。

火の鳥 手塚治虫

京王線の新宿に近い代田橋で、予備校に通いながら1人暮らしをしていた私のもう一つの楽しみは、手塚治虫の文庫本化された漫画を読むことだった。
 
近所の本屋で文庫本になった『火の鳥』と『ブラック・ジャック』が山積みにされていたのを目にし、『そういえば中学校の図書館に火の鳥ブラック・ジャックがあって読んだけど、時間もあるしもう一度読んでみるか』と思い、火の鳥を購入した。
 
私はハマった。
 
火の鳥を1巻、2巻と読み進めていくと、手塚治虫の死生観・人生観・哲学・倫理観などのもとに描かれていた壮大なストーリーと深すぎる内容に圧倒された。
 
本の内容はネタバレになるのでここでは記載しないが、『生命について、生きることについて』深く描かれており、今も私の死生観に強く影響を与えている。
 
 
『生きるとは何か、人はなぜ生きるのか』という禅問答のような難問に対して、私なりの結論を出す概念の元になりえ、『生きることに対して非常にポジティブに、自らが主体的となり生きていく』と考えるようになった。
 
 
*注意
それまでが自分の殻に閉じこもってしまうネガティブ思考の10代の男の子と思われるかもしれないが、そんなことはなく、もとから若者特有の根拠のない自信があるポジティブ思考タイプの男の子だったのでご心配なく。
 
 
火の鳥全巻を一気に読み終えた私は、続けてブラック・ジャックも全巻制覇し、その後も『ブッダきりひと賛歌奇子アドルフに告ぐ陽だまりの樹・ルードウィヒ B・ネオ ファウスト』を立て続けに一気に読破した。(受験勉強しろ!)
 
自分が生まれる前に、こんなに面白い社会派の青年漫画があったのか!と驚愕したことを覚えている。